どうも中の人です(・ω・)ノ
この前ちょろっと長いメンテの時にとある人とチャットで話したのですが、なにが楽しくてネットゲーやっとるのかってことを。
子供の頃、空き地とか公園の階段下とかの隙間をみつけては秘密基地だの隠れ家だのと遊んでいた事をよく覚えています。大人が秘密基地を作りなさいと言ったわけでもなく(言うわきゃない)、自発的にそういう事をして遊んでいたっていうのは、今から考えれば不思議です。また逆にそういう隙間を子供心に怖れてもいました。なんだかよくわからない隙間に幽霊や化け物なんかのわけのわからない生き物がいたりしないかとビクついてました。だからなのかなと、今にして思います。「秘密基地」だ「隠れ家」だと名前をつけて、身近にある意味不明の隙間を埋めちゃおうとしたのかもしれないですね。
「隠れ家で集合ね」と言った時には、半ば本気でそこを「隠れ家」だと信じていました。なにしろ見つかりませんから。たとえ親や他の大人に見つかったときでも「あの子達はあそこに隠れ家を作って遊んでいる」とは思われなかったっていう意味で、「あの子達は公園の階段の下なんて変なところで遊んでいる」としか思われなかったって意味で、「隠れ家」が見つかった試しはなかったですから。まぁ、薄々気づいていても知らない振りをしてくれていたというところでしょうか。
半ば本気で信じている者にしか入れない「隠れ家」、意味のわからない隙間の上に作られた別世界。抗し難い魅力を持った遊び場でしたね。
大人になるにつれそうした世界を捨てていくっていうのは、実はそうでもなくて、大人になっても何らかの「隠れ家」に遊びに行くというのはよくあることで、Barだったりサロンだったりといったものに形が変わっているだけじゃないかなとか思います。人間は心だけでは生きていけないということを知るのは大人になってからですが、心なしには生きていけないとも同時に知るわけですから、一時の心の夢として「隠れ家」を大事にしたいと思うのは大人にとっても理解できるところです。
人間の心は意味のない平板な現実に耐えられず、常に意味を現実にぶつけて戦っているようなものですが、そうした戦いに疲れた心の安らかな眠りとして、ただ意味と自分の心とがある世界に行きたいと願うんでしょうね。
俺にとって今最も心地のいい、安らげる心の寝床はMoEですわ(・ω・)明日の元気のもとです。
なんて事を日ごろからつらつらと考えているので「ネットゲーやるのって何か不健全な気がして……」といったニュアンスの事を言われても「仕事で疲れてるのにパチンコ屋いったり飲み屋行ったりなんだりするのと大してかわらねーよ」的な事をサクッと切り返してたりする俺でした(`・ω・)b
ま、難しい話はおいて、こんなもの作りましたよ。
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